こんばんは🌺
今日はRが2度目の寛解中につくづく思ったことを
書いていきたいと思います🍓
Rの2度目の寛解期間は長く
数年間にのぼりました
リンパ腫発症からもう3~4年
「うまくいって1年半」
と獣医さんから聞いていたため
とにかくその1年半を目指して来ました
そしてその1年半にたどり着き、
もう少し、もう少し、と
いろんな病気をしながらも
日々大切に過ごして来ました
そして2年、3年‥‥
獣医さんも驚愕の時間が流れていきました
結果的にはRは5年5ヵ月という
かなり稀な長い時間を生きれました
この時点でもすでに私は
すごいことが起きているのだと
毎日噛み締めるように思っていました
私は今もはっきりと覚えているのですが
そんなある日の夕方のお散歩で
ふっと思ったことがありました
「今、この時、これは夢のような時間なんだ」と
発症時に獣医さんから言われた残された期間
世間一般の、この病気の平均的な残された時間
私が当初、何となくだけど考えていた残された時間
これらのどれにもあてはまらない、
遥かに長い時間をRは生きていて
しかもこんな風に穏やかに楽しそうに
Rはいつもの道を元気よく歩いている
そんなRのそばにいられて
一緒にこんな風に
いつも通りのお散歩が出来る私
Rがいる世界で
しかも穏やかな気持ちで
空がキレイだと感じ
風を心地よいと感じられる私
これは
ものすごく確率が低いことが起こっているということ
ものすごくものすごく
ここまで来れるには確率が低かったはず
だけどRはそこにいる
もういなくなっててもおかしくなかったR
でもそこにいる
しかも元気にうれしそうに歩いてる
これは本当に
夢のような時間なんだ‥‥
同じ病気になった多くのわんこたちが体験できなかった時間を
この子は生きている
この夢のような時間は
絶対に大切に過ごさなくちゃいけない
他の子の分まで
絶対にしっかり生きなくちゃだめだ
そう強く強く思いました
Rが生きる時間を
私が輝かせるんだ
Rにとっての「いちばん」を考えて
最期のその時まで
しっかり寄り添って
いっぱい愛していっぱい抱きしめて
しっかり落ち着いて冷静に病気を見つめて
1秒も大事に生きていくのだ
そう思いを強くしました
あの時の穏やかな空気と
一生懸命歩くRのうしろ姿が
今も思い出されて
思い出されて
視界がぼやけてたまりません
今日もありがとうございます🍓
Rはすごいね
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓

こんばんは🍂
今日は日々の思いを書きます🍓
もうすぐ増税
テレビでは連日、何を今のうちに買いだめするか、という話題でもちきりです
私は特に何を買いだめするわけでもないのですが‥‥
ただそういうテレビを眺めながら
Rのことを考えていました
この増税がもし
Rが病気になる前だったら
いろんなものを買いだめしたでしょう
Rのものばかり、
おやつやペットシーツ
フロントラインやうんちBag、
欲張って新しいカラーにリード
何が必要か考えて
あれもこれもと
「命が終わること」なんて思いもせずに
たくさん たくさん
たくさんの買いだめしたものたちを
「使い切れないかも」なんていう
そんなことは考えるはずもなく
当たり前に使い切れると疑いもせず
いっぱい買ったはず
なんてしあわせだったことか
健康であること
元気であること
若いということ
私には
それはとてもとても
眩しく見えます
増税がもし
Rの最後の再発の頃だったら
もともとすでに
たくさん買い込むことはやめていましたが
「爆買い出来るということ」それでも
買いためるなんて出来ない状況を
新たに思い知らされて
きっと、苦しんだでしょう
今は何の心配もしなくてよくなりました
Rに何かたくさん賈ってやりたいのに
考え方を変えよう
Rは今とっても楽しい毎日で
リュックに入ったおやつもたくさんあって
見えない姿で私のそばにいて
私と一緒においしいものを食べている
サッカーボールも持ってるし
カラーもリードも必要ない
Rには何の心配もないんだ
だから買いだめなんて必要ないよ
そう考えよう
R 大好きだよ
今日もありがとうございます🍓
何もかも足りてるねR
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓

こんばんは🍁
先日いただいたコメントのことを
今日は書いていきます🍓
数日前に「日曜日」というタイトルの記事を書きました
Rが日曜日に逝ってしまったから
日曜日になると
「Rが死んでしまう」という気持ちになる、というお話です
その記事にこんなコメントをいただきました
『命と生きるって覚悟が必要ですよね』
Rと生きてきた16年7ヶ月
年齢を重ねていって
病気になって
「死」を考えるようになって
Rを失う怖さを背負いながらやって来ました
それこそが
『命と生きる覚悟』なのでしょう
改めて言葉になると
ますます深く実感しました
いつか亡くすという覚悟
最後までお世話をするという覚悟
命と向き合うというのは
そういうことなのでしょう
愛して愛して
大切でたまらなくて
だから辛くても
何とかその覚悟を受け入れていく
だけど世の中には
覚悟どころか
途中でひどいやり方で
手放してしまう人もいます
私はどうしてもそれが許せません
なぜ「命」の重みがわからないのか
きっと「命」だという認識が
あまりにも薄いのでしょう
とにかく「命」を迎えたなら
「いつかはいなくなるのだ」ということを
しっかりと考えて覚悟して
決して目をそらさずに
向かい合わなければならないのだと思います
そんなこと当然なんですけどね
深刻な病気にかかったとしても
かわいそうだから、
難しいから、わからないから、と
目をそらさずに
きちんと病気を理解して
一緒に闘っていくことが
飼い主としての役目なのだと思います
そのお手伝いが
このブログでできたら
私はとてもしあわせです
今日もありがとうございます🍓
Rも一緒にお手伝いしようね
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓

こんばんは🍀
今日は思い出話にします🍓
あれはRが5~6歳の頃
まだ大きな病気もしてなかった頃のことです
その頃はまだRも若かったし
病気に対する心構えがなってなかったものですから
詳細なことは思い出せないのですが
ある時Rの皮膚に異常が出て
病院へ連れて行きました
これもまた思い出せないのですが
何かの皮膚炎でした
そしてその治療のためには
毎日(!)薬浴をしなければなりませんでした
要するに毎日お風呂に入れて
軽くシャンプーして
薬用のリンスをしなければならないということです
コーギーがおうちにいる方なら
それがどれだけ大変なことか
おわかりいただけると思います
コーギーはダブルコート(二枚毛)なので
洗う、すすぐ、ももちろん時間がかかるのですが
何といっても乾かすのがものすごく大変なのです
大変というか、とにかく乾かない!
うちには業務用ドライヤーはなかったので
ひたすら普通のドライヤーで
乾かさなければなりません
Rは微妙に肌が敏感だったりしたので
生乾きだと皮膚がただれたりしたことがありました
なのでど根性で完全乾燥しないとだめで
小一時間くらいはかかりました
その頃はもうサロンに任せていたので
おうちシャンプーは極稀でしたが
何度か経験はしていたので
「毎日お風呂」と聞いた時は倒れそうになりました
そしてその日から約1週間ほど
毎日おうちお風呂になりました
Rはお風呂は「嫌いじゃないけど好きでもない」といったスタンスなので
多少は抵抗しました
ですが、さすがに毎日続くとだんだん慣れて
無抵抗になりました(笑)
そして乾燥はやっぱり
思ってた通り大変な重労働でした
でもRにとってもきっと
毎日はしんどかったでしょう
お風呂場は毛だらけになるし
ドライヤーで部屋も毛だらけになるし
もう毎日毛まみれ泡まみれ(Rがシャンプー中にブルブルして飛ばす)になりながら
大変だけどでも治すためだ、と
お互いに頑張ってついに1週間経ちました
そしてまた診察へ
皮膚状態も良くなり
おうちお風呂は終了となりました
皮膚炎が治ったうれしさと
おうちお風呂が終了したうれしさとで
Rとにっこにこで見つめ合いました
「R~ おうちお風呂終わりだって 良かったね~ 頑張ったもんね~」
それからはずっと
お風呂はリンパ腫になるまではサロンにお任せでした
リンパ腫になってからは基本的に
抗がん剤治療の合間に行ってましたが
どうしても体調が悪くてタイミングが合わなかったり
そういう時はおうちお風呂でした
最後の再発をする前に
Rが長時間のサロンに疲れないように、という理由と
サロンが閉店してしまった、という理由で
2度ほどおうちお風呂をしました
それが最後のおうちお風呂になりました
あんなに大変だったドライヤーも
泡まみれになったことも
今は「もうしてあげられない」という思いでいっぱいで
Rの体を洗った時のあの指の感触が思い出されて
愛しくて淋しくなります
お空でまた会ったときに
また洗ってあげるよR
楽しみだね、R
今日もありがとうございます🍓
楽しみだね~
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓

こんばんは🌸
今日は日々の思いを書きます🍓
Rがいなくなって
日々の生活の中で
「R」という音の響きが
私の回りからすっかり少なくなってしまいました
もちろん私の中では
毎日「ねえ、R」と呼びかけるので
その音は存在していますが
人の間で生きるこの社会で
「R」というRの名前としての音が
Rがいなくなったことで
すっかり
登場機会を激減させました
だから時々
生活の中で「R」という名前が登場すると
私の気持ちは
一気に上がります
誰かとの会話で自分から「R」と口に出すのも心が浮き立ちますが
誰かの口から「R」という名前が発音されると
それはそれはもう
嫌なことも吹っ飛ぶほどに
ものすごく満たされた気持ちになるのです
今日も仕事場で
「R」という音が登場しました
Rの話題が出る、それだけで
生き返ったような気持ちになりました
母との電話でも
「R」という音が何度も登場しました
そんな時
もう、私はいつまでもずっと
Rのことを話していたいと思うのです
Rを近くに感じる、
ひとつの方法なのかもしれません
これからもこうやって
私の社会の中で
「R」という音を消さずにいきたい
ずっとずっと
今日もありがとうございます🍓
R~!!
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓

こんばんは🌷
被災地の長期停電のニュースを見て
一刻も早い復旧を祈るばかりです
少し暑さは落ち着いてきているとはいえ
まだ気温は高く
エアコンのない毎日は
どれだけ辛いかと
想像すると胸が苦しくなります
去年の台風で
私の家も停電し
屋根瓦が落ちて穴が開きました
その後はブルーシートをかけていましたが
豪雨だと雨漏りし
しょっちゅうめくれ上がったり
重しの紐が切れたりで
何度も手直しが必要でした
修理業者に頼んでいましたが
あまりに修理依頼が多いのに
修理業者が少なく
なんと昨日やっと修理が完了しました
私の体験はまだ軽い方でしたが
それでも精神的ダメージは
大きかったと思います
だから被災地の方々の気持ちを思うと
たまらなくなるのです
そして停電
私の時は昼から夜中までの
それほど長い間ではなかったのですが
それでもものすごく長く感じ、
お願いだから早く復旧して!と
ものすごく疲れたのを覚えています
あの時痛感したのは
電気のありがたさでした
そして何よりも
Rがいたら暑くて大変なことになっていただろう、と想像し
Rがいない時で本当に良かった、と思いました
被災地のわんこや動物たち
きっと今この時も辛い思いをしているのではないか‥‥
一刻も早い復旧と
全ての動物たち、人々の無事を願うより他ありません
心からお見舞い申し上げると共に
一刻も早い復旧を
お祈りしています
今日もありがとうございます🍓
Rも応援してます
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓

こんばんは🌷
今日はずっと前にある人から言われて
未だに心の中で燻っていることを
書いていきます🍓
Rがリンパ腫になって
最初の長い抗がん剤治療を終えて寛解して
また再発して
いろんなことで頭がいっぱいで
余裕なんて全くなくて
毎日を過ごすのが必死だった頃のことです
あらゆる治療法をいろいろ調べたり
最悪の状況のことを考えたり
とにかくRを助けたい思いで
周りがよく見えなくなるくらい
ひたすら頑張って
たくさん苦しい思いもしました
そんな時
ある人から言われました
「もうちょっと考え方を変えた方がいいと思う。Rはあくまで犬で人間じゃないんだから、もっとペットと飼い主として関係を考えた方がいい。」と
もっと距離を置けということ?
病気になっても
そこまで「何としてでも」助けることはないということ?
私はその時
ものすごく反発しました
家族だと思って何が悪い?
大切だと思ったら助けたいのが普通じゃないの?
今さらそんなこと言われたって
そんなの変えれるわけない
めちゃくちゃ反発したのを覚えています
Rとはぎゅうぎゅうに濃密な関係でした
長い間ずっとふたりで過ごしてきたのです
どうしようもなく大切で
どうしようもなく愛しくて
だから
亡くした後は地獄でした
もう少し距離感を保っていたら
この地獄の時間の程度は
もう少し緩んだの?
こんなに苦しくはならなかった?
わからないけど
私には愛するより他なかった
どうしても守りたかった
だから
私は間違ってなかった、はず
人にはいろんな考え方があります
正解もたくさんなのだと思います
きっとないけど
もし、またわんこを迎えることがあったら
‥‥
Rの時より
少し距離を考えてしまうかもしれません
愛して愛し過ぎて
亡くした苦しみを知ってしまったから
もうこんな思いは‥‥
そんな風に考えてしまうのです
今この時だから
そう思うのかもしれません
もっともっと時が経って
私も何か変われたら
また違う風に考えるのかもしれません
その時になってみなければわからない
そうですよね
だから今はまだ
あんまり考えないようにしよう
今日もありがとうございます🍓
ミルクバーを少しだけ舐めさせてあげようとしたら‥‥やられた!
たくさんのわんこの役に立てますように
クリックしていただけると嬉しいです🍓
